正しいことと楽しいことと

コロナ禍になってからというものうちの家族は毎週一回Zoomミーティングをしている。

特にアジェンダとかはないので、集まった人が思いついたことをただ喋って一時間すごすというだけのなんてことない会なのだけれど、なんだかんだでかれこれ2年以上続いている。うちは6人家族なので全員が毎回出席しなくても誰かしらがそこにいるので出席するかどうかも任意、という緩さも続いてる秘訣な気がする。

続けることの難しさ

大抵のことは続かない。

無理してやっていることはもちろんだけれども、やりたくてやっていることの多くも続かない。時間がないとか、体調が悪いとか、天気が悪いとか、仕事が忙しいとか、あれやこれやの理由を見つけてはついつい後回しにしてしまう。

先月だったか、シリコンバレーで暮らしている弟が「世の中には楽しいことと正しいことがある」みたいなことを言っていて、どちらかだけを優先してもうまくいかないという話をしていた。たしかに、正しいことばかりしている人は楽しいことばかりしている人を嫌う傾向があるだろうし、楽しいことばかりしている人は正しいことが蓄積されないのでスカスカな人になってしまう可能性は高い。

アリとキリギリスの話で、キリギリスはアリが働いている間バイオリンなどを弾いて遊んでいたのだから、冬が来た時に食べ物がないのは当たり前だ、働かざるもの喰うべからず!と僕らは道徳の時間に習ったような気がするけれど、バイオリニストがバイオリンを弾くのは遊びではないし、そういう意味ではバイオリンを弾くのだって立派な労働なわけだからキリギリスを助けてあげないアリはひどい、という見解もある。それに、アリにとっても冬の間こそバイオリンを聴いて楽しむには絶好の季節なのだから見殺しにするなんて両者にとって損失な気もする。それにアリは勤勉だから働かなくてはいけないと感じて働いているのではなくて、働かないでボーっとしていると落ち着かないから働きたくて働いているだけ、という可能性だってある。

働くも働かない、遊ぶも遊ばないも、正しいも楽しいも、自分が行動をするための理由やモチベーションはなんだっていいと思うけれど、これって思ったことをずっと続けていくことは大切なことなんじゃないかって思うし、自分にとって音楽を作り続けていくっていうのは遊びでも仕事でもないけれど、生きていく上で単純に必要なことだから続いているんだろうなって思う。