[24 Hours Project]

[24 Hours Project]

[24 Hours Project]ができるまでのあらすじ

2009年の夏は朝から夜まで働き詰めの日々。

翻訳の仕事が次から次へとやって来ては累積していき、逃げ場所のない生活が続いていました。お金がもらえること、仕事がもらえることはもちろん悪いことではないし、仕事に費やした時間はそれなりの金額に形を変えて僕の手元に戻って来るし、少なくとも生活に必要な分以上の稼ぎは手にしていたので、「贅沢言わないでそんな生活も楽しんでればいい。」と言うのが当時の僕の状況に対する周囲の人たちの大半の意見でした。しかし、働いてばかりいる自分の毎日の生活や当時の自分という人間像に対して、僕は何か煮え切らない思いを募らせていたのです。

音楽家/翻訳家/ライターという三通りの人生をそれぞれに進めていく上で「お金になるもの」を最優先にしていく、という習性を僕はいつの間にか身に付けてしまっていました。東京に一人で出て来て暮らしていく上で、長い間それが僕にとって必要だったのです。「でもちょっと待て、もう一度良く考えてみろ」、そんな考えが頭をよぎりました。このままの生活を続けていたら僕はただの翻訳家になってしまう。そんな恐怖感がどこからともなく湧き上がり、それはいつからか僕の心の隅に常に居座るようになり、その恐怖心は時間の経過と共に増え続ける一方でした。しかも、世界にはもう十分すぎるほどの翻訳家という種族が存在していることは明らかであり、翻訳作業のほとんどをパソコンでまかなえる、という日が近づいて来ているということも事実です。もしかしたらそれは翻訳の世界だけの話ではなく、ライターやミュージシャンにも同じことが言えるのかも知れません。多くの作業がロボットやパソコンに奪われていく中、パソコンではこの先も出来ないであろう作業を一つ挙げるとしたらそれは「面白いアイデアを思いつくこと」ではないでしょうか?

[24 Hours Project] Character Created by Kachun Chan

その「面白いアイデア」を探し、思想の糸が頭の中で伸び縮みを続けていく中、何が面白い?何が出来る?何だったら成し遂げられる?という質問を自分に対して問いかけ続けました。新しいプロジェクトを模索していく中で、お金になることを優先するのはもうやめよう、安定した翻訳の仕事(少なくとも今この瞬間は)の上にあぐらをかいているのはもうやめよう、何か夢中になれるものを始めようと思ったのです。

僕にとって「音楽」とは街の音や人の会話、電車が走る音、鳥のさえずり、風に揺れる木の葉の音、海の波の音、などとなんら変わりがないものです。世界の全ての聞こえる音、そして聞こえない音が音楽そのものだと思うときもあります。文章を書く、曲を作る、などの作業のときだけでなく、汚れたお皿を洗うときや、ゴミを出したりするときでさえも同じ発想、同じ観点で僕は生きているような気がします。生活があって音楽が初めて成立するわけで、生活なしでは音楽というものは存在しえないのです。

そんなひどく曖昧で抽象的な想いを形にしてみたい、と考えた時に僕が手に取ったのがデジタルカメラ、iPhone、そしてBoss MicroBR(単三電池二本で動く4トラックmp3 レコーダー)でした。アイデアがそこにあるならその見せ方は完璧でなくてもいい。完璧なんていずれにせよ存在しないのだし、完璧に記録出来たとして、 YouTubeにアップしてしまったら完璧なものだって完璧な状態で見せられるわけでもない、というのが僕の基本的な考えです。

YouTubeに載せられる長さの制限は10分。それぞれのクリップは10分、全てのクリップの合計時間は24時間。このプロジェクトの核となるコンセプトは数秒のうちに固まりました。自分の作品を同じ時間の枠にはめていく、というもの興味深い切り口のように思えました。それはライターが記事を書く場合にまず文字数を決めるところから始めたり、画家が描き始める前にキャンバスの大きさを決めるように。

そんな風にして24時間分の動画と音楽を作成する、という新しいプロジェクト”24 Hours Project”は始まったのです。(余談ですが、24 Hour Projectとするか、24 Hours Projectとするかについてはかなり悩み、24時間という長さを強調するために24 Hours Projectと複数形で示すことにしました。)

このプロジェクトを通じてどんな物語が語られるのかは僕自身ですら見当が付きません。いずれにしても僕は予測可能な未来を求めているわけではないですし、今まで作って来た作品の全てを自分で理解出来ているわけでもありません。特にこの24時間プロジェクトにおいては作品の全てが偶然の産物です。スクリプトもなく、俳優もエキストラもいません。そこに映し出されるのは僕の目に映った人や僕が聞いた音です。それは世界のどこかで今も続いている生活や風景のほんの一部を切り取ったものを僕のカメラが偶然捕らえただけなのです。

10分のクリップが144本でちょうど24時間になります。24時間分の動画が完成したら全てをまとめて一つの作品として提示するつもりでいます。それはまるで音楽家がアルバムをレコーディングしたり、画家が一つの絵を仕上げたり、作家が一冊の本を書くように、映画監督が一本の映画を作るように、あるいは僕の人生、または僕と関わりを持った人たちの人生の単なるドキュメンタリーとして。

具体性がなく意味のないプロジェクトと言われるかも知れませんが、僕は今このプロジェクトに夢中です。ほんとうに久しぶりに何かに夢中になれている気がします。このプロジェクトによってどんな物語が描かれるのかは作っている僕が一番楽しみにしているに違いありません。

かなりの長期戦となるこのプロジェクトですが、もし見守って頂けるのであれば、時折思い出してYouTubeのチャンネルを開き、ポチッと再生ボタンを押してもらえると幸いです。

2009年10月16日