
広島生まれ・ボストン育ちのシンガーソングライター。四人兄弟の次男。
15歳の頃、当時46歳だった父親が20年以上勤めた会社を退社し、ジャズの勉強をするためにボストンにあるバークリー音楽院へ留学することになる。家族六人で渡米。何の準備もなく、もちろん英語も話せるわけなどない状態でボストン郊外の現地校に転校し、そこでのサバイバル生活を余儀なくされる。言葉が通じないストレスから家でギターばかり弾いてすごす。言葉ができないなりにパンクバンドでベースを弾くことで仲間を作るなどし、なんとなく生き延びることに成功し、高校・大学時代をアメリカで過ごす。マサチューセッツ大学アマースト校卒業。
卒業後はバックパックとギターを持って世界各地を旅して周り、東京に流れ着く。恵比寿にあった当時外人ハウスと呼ばれていたシェアハウスに家賃5万円の4畳半の部屋を借り、東京での暮らしを始める。ラジオの事務所に入ってみたり、作詞の仕事をしてみたり、翻訳の仕事をしてみたり、派遣社員をしてみたりしながら音楽活動をやったりやらなかったりしてすごす。
翻訳の仕事に撲殺されそうになっていた2009年、何かやらないとこのまま年老いて死んでしまう、という危機感から[24 Hours Project]という動画プロジェクトを始め、翻訳の仕事をリモートでやりながら旅をする、というスタイルで2014年くらいまで日本と海外の二重生活を送る。50カ国以上で仕事をしながら生活するという経験を積む。2014年3月に株式会社らぼらとりを起業。2014年から民泊事業を始め、法律ギリギリの民泊経営を始めるも、「民泊」という概念が世に浸透するのと同時に悪のイメージがついてしまい2016年に潔く撤退。転んでもただでは起きたくない、という下心に支えられて民泊事業について書いた電子書籍「民泊ブームに乗っかってエアビーホストやめました」を三日で書き上げ、その次の日に発売。同年に旅の日記をまとめた電子書籍「旅と英語とギターと仕事」を発表。
2016年以降は比較的定住する暮らしを続けている。2018年はナショナルジオグラフィックの取材に通訳として同行。2021年は東京オリンピック・パラリンピックにスタッフとして参加。アスリートの格好良さに心を撃たれ、ジムに通い始める。父親がアメリカ留学をした46歳を目前に自分も何か形に残るものを作らなければと思い立ち、アルバム制作を決意する。アルバムを発表する前になんとかしなくては、という思いから[24 Hours Project]の動画144本をようやくYouTubeにて公開する。2009年から数えて実に13年。
2022年、代官山の部屋を引き払い福島県いわき市に移住。昨日(2022年6月16日)からホームページ制作を開始。
趣味は将棋。将棋を国際化したいという思いから、将棋のルールを英語で説明した電子書籍「Comprehensive Shogi Guide」を2016年に発行している。